メンドクサイ(何が?)
今回は、『メンドクサイ』のもう一つの側面を見ながら、それに対処してゆく心構えについてお話ししたいと思います。
さて、大人達だけでなく子供達もあまりにも簡単に『めんどくさーい』『めんどい』『めんどっちー』と口にします。おそらく口に出す回数の倍以上思う回数はあると思います。
『めんどくさい』という感情は、人から前進する機会を奪い取ります。進めるはずの機会が減少することで、結果的に前進する力も奪い取っていきます。原因は、自分が発する『めんどくさい』という言葉なのです。自分で自分を止めようとするのです。なぜなら『めんどくさい』という言葉は、何かやろうとしていることをやらないための理由になるからです。面倒臭いから今はやらない、面倒臭いから後でやる、面倒臭いからやめた。
私の実家の過去の変な会話
母「何か食べる?」
私「・・・・・別にいい」
母「何か作ろーかー? ○○とかー、△△とかー」
私「うーーーん・・・・・・・・めんどうだからいいやー」
母「・・・・・・・・・」
これって、変な会話ですよね。言っている私自身も”変なの”と思いながら言ってましたから。でも気分的にはこの通りなんです。作ろうとしているのは母で、私が作るわけではない、にもかかわらず私が”めんどうだ”と言っている。『めんどくさい』という言葉は理由付けにはもってこいのようです。そして上の会話からも分かるように、母は何も作っていないし、私も何も食べていない。全く何も前進していないのです。こんな会話を子供の頃何百回したことでしょう。
でも一見やらないための理由になっているように見える『めんどくさい』が実はやらないための本当の理由ではない、と言ったらみなさんはどう思われるでしょうか?面倒だからやらないのではなく、(□□□□なんだけど、それを説明するのが)面倒だからやらない、ということだと思うのです。つまり『めんどくさい』は直接的な理由ではない、ということです。
上の会話の場合で考えると、
私「うーーーん・・・・・(一応おなかは空いているんだけど、特にこれといって食べたいものがあるわけでもなく、それほど食べたいと思っているわけでもない○○や△△を作ってもらうのでは、わざわざ作ってくれるあなた(母)に対して申し訳ないと思うんだけれども、それを説明するのは)・・・・・めんどうだからいいやー」となります。
説明をきちんとすればそれを聞いた母は、私の気持ちを酌んだ上でさらに次はどうしようかという提案をするでしょうし、それに対して私もさらに判断を重ねてゆくことになるでしょう。結果として食べるかどうかはともかく、話が前進することは確かですし、お互いの感情も平穏を保っていられるでしょう。しかし、説明を省いて「めんどうだからいいや」と言った瞬間に全ては立ち消えてストップ。会話の最後の、「・・・・・・・・」が全てを物語っています。『めんどくさい』という言葉を理由付けに使うと、自分自身を止めてしまうだけでなく、相手も止めてしまうことになります。さらに言われた側が止まりたくない場合や止まれない事情がある場合は、『めんどくさい』という言葉を軸にして言い争う、という怒りを含んだ形態の会話が繰り広げられていくことになるでしょう。
『メンドクサイ』
不思議な言葉、簡単に使える言葉、そしてとても危険な言葉。
『メンドクサイ』を言う側と聞く側のお互いがそれぞれ誠意を見せ合う時に初めて、『メンドクサイ』は物事を止めるための理由ではなく、お互いが前進し合える機会を生み出すための言葉になるはずです。
一般に相手が『めんどくさい』と言ったときは、言った側も聞いている側もそれを”やらない理由”として捉えてしまいがちですが、『めんどくさい』という言葉の内側に、本当は進みたい自分(でも億劫=今のままでいいや)が必ずいます。『めんどくさい』という言葉を「前に進めるチャンスを表現しているシグナル」と見ることができれば、相手が『めんどくさい』と言ったときに返す言葉の種類は自ずと決まってくるでしょう。
進みたいけど進めない相手にかける言葉は、「じゃあ、勝手にすれば!」でも「めんどくさいとは何だ!」でも「何てこと言うの!?」でもなく、
「何が、どのように、面倒なのか」
を尋ねることで、相手がその本当の理由を考えることに取り組んでもらう事だと思います。何が面倒で、どう面倒なのか、を真剣に考えると、そこに前に進むエネルギーが隠されている事に気づくはずです。
