つゆのえっせい
今年も鬱陶しい季節になりました。梅雨になると毎年思い出すことがあります。
私が大学4年の時のこと。当時は親元を離れ福岡県の地方都市の郊外で寮生活を送っていましたが、寮のすぐ近くに焼鳥屋が田んぼの中にポツンと一軒あり、少ない仕送りの中で2ヶ月に1度位の割合で寮の仲間達と飲みに行っていました。その年の7月の驟雨の夜、就職活動を始めたばかりの私達は、話好きなその店の親父さんと働くということについて話していました。そして、話の途中から天候の話になり、私達仲間の誰だったかが「毎日雨ばかりでうっとうしい中、就職活動でいやになってしまう」というようなグチを言ったとき、イカツイなりをして角刈り頭のその店の親父さんがこう言ったのです。
「われわれ人間にとっちゃぁいやな雨だけど、野っぱらの草木にゃぁ大切な雨さ。一見役立たないように見えても、知らない所で役に立っているものはいくらもあるもんよ。」
その人の見かけとはあまりにもギャップのある言葉だったので、はじめのうちは「この人何言ってんだろう?」という疑問だけだったのですが・・・。でもそれ以降忘れられない言葉になりました。
これから社会に飛び出そうとする我々に、「世の中、物事の表面に見えているものだけを見て評価するんじゃぁないよ、若者達よ。」というメッセージがこめられていたんだと気づくまでにずいぶんと時間がかかりました。そして、見かけからは想像できないような話をしてくれたその親父さん自身に対しても同じことが言えることに気づいたのはさらにもっと後のことです。そして「世の中、人間の表面に見えているものだけを見て評価するんじゃぁないよ」というメッセージまでこめられていたのです。
あれから20年、毎年梅雨になって雨が振り続けると思い出し、思い出すたびにあの親父さんの言葉が深く深く染み込んできます。
あの時までは漠然と思ってきたことに、あの時のあの言葉ははっきりとした後押しを与えてくれました。自分の進むべき道がはっきりと見えた瞬間だったかもしれません。
見えるものは誰にでも見えるけど
見えないものが見えるかどうかは
その人のセンスに左右される
そして、センスは磨くものだ
磨く事を忘れない限り
磨く事をあきらめない限り
その人のセンスは日々成長してゆける
そして
それまでは見えなかった事象や存在が
ある瞬間からはっきりと見え始める
その対象は
自分の周りの人間で
あるかもしれないし
自分の周りで起きている事柄で
あるかもしれないし
あるいは自分自身かもしれない
人生は生きているだけでも
充分素晴らしいし
前進できればなお素晴らしい
いやだな、と思う気持ちの向こう側に、いつも輝きが見えます。
