復習って、ナンダ!?(その1)~復習のやり方~

最近では人間の脳の仕組みもかなり解析されてきて、例えば生きていくということに直接関係のない事柄(情報)は私達の脳の中ではまたたく間にその存在価値が薄らいでいってしまいます(実際には、忘れてもいいという脳のスミの部分にどんどん送られていってしまうそうです)。生きていくことに直接関係のある情報とは、食べたり寝たりという生理的な情報や心地よく生きるためのお金や人間関係に関する情報などを指します。学問的知識・経験といった入力情報はよりよく生きるためのものではありますが、生きていくことに直接関係する情報というわけではありません。したがって、脳に入力された刺激(知的情報)は放置しておけばあっという間にスミの方へ追いやられてしまうということになります。すなわち「忘れる」ということになります。

ところが「復習」をすると、脳は決してその情報をスミの方へ追いやったりせず、重要なものとしていつでも処理可能な場所に留めておく、という働き方をしてくれます。したがって、普段から「復習」をきちんとしている人は試験前に無理な勉強をしないでも余裕を持って脳が適切な処理をしてくれるわけです。

逆に、普段「復習」の習慣がない人やきちんとした(自分流の確立した)「復習方法」を持っていない人は、試験前に無理な勉強をしても、スミの方へ追いやられてしまった情報を処理可能な場所になかなか戻せず、そして思ったほどの効果も現れず、そして自分の能力を否定してゆくという悪循環を招きます。

よく試験前だけちょこちょこっとやっていい点を取る人に対して「頭のいい人はいいよねー」などと言う人がいますが、これは大きな勘違いです。そんなふうにいい点を取る人は間違いなく日々の復習をしています。ただ、そういう人にとってはあまりにも日常的なことなので、自分が復習をやっているという意識のない人も多いのです。

「復習」のやり方は千差万別。10人いれば10人ともやり方が違うはずです(そのくらい復習には個性が現れます)が、それでも第一歩だけは共通しているはずです。それはその日の授業のノートを開く事です。言うまでもなく、その日の授業で過ごした空間と時間を頭の中によみがえらせる為です。きちんと時間をかけてノートを写してから問題点を整理するというタイプから、テレビや食事の時間の合間にその日のノートすべてに目を通すというタイプまで様々です。究極は学校の休み時間や下校の途中歩きながら自分の脳の中にその日のノートを広げて(バーチャル)さっと済ませてしまうタイプ(この究極の復習が出来る人間は、私が今までに出会った千人余りの生徒の中でもほんの4~5人ですから、確率的に言っても200~250人に一人の割合ということになると思います。すなわち、中学の場合は大体1学年に1人か2人というところでしょう。一生を通しても親しい人として出会うこと自体なかなか難しいと思います)。

以上の通り本来復習はその内容やタイミングを自分で決めて行うものであるわけですが、まだ「復習」というものが身についていない生徒にとって、全部自分で決めるというのは不可能に近い。かといって宿題だけ出していたのでは、いつまでたっても自分自身に辿り着けない。したがって、まず30~60分というワクを用意します。そして、こんなことをやると復習になるんじゃぁないかな、という仮の課題を決めます。曜日ごとに学校の時間割も放課後から夜までの空き時間も違いますから、この仮の課題決めを曜日ごとに設定します。そして仮の課題にしたがって最低でも3週間(3巡)は同じやり方を続けます。4週目以降は仮に決めた課題を改良していく期間になります。そのためにも、曜日ごとに科目ごとにどんな仮課題を設定してきたかを明確にしておかなければなりません。最初の3週間は、仮の設定を明確にするための期間と言ってもいいでしょう。同じやり方を3週(3巡)繰り返すとかなり明確になる(習慣づく)ものです。1週ごとに変えてしまったり、1日ごとに思いつきでやったり、というのでは仮の設定を明確にすることができないので、次のステップで改良することもできないし、たとえ改良したとしても方向性が定まっていないので結果として同じところをウロウロしてしまい変化を実感することができません。変化の実感が伴わなければ更なる改良への意欲が生まれませんから、実のある復習にはいっこうに近づけないですし、そのうち復習そのものをしなくなります。そして、「復習って、何だ?」ということになってしまいます。

さて、4週目以降の改良期間を経て徐々に自分の復習の形が出来上がっていきますが、実はこの自分の形には最終形がありません、というより、改良はいつまでも続くといった方がいいかもしれません。よりいいものに変えていくことを改良というのですからこれは当然のことです。ただし、3週間ごとに変えなければいけないわけではありません。4週目以降は自分が変えたいと思ったときに変えるのがポイントになります。

そして、「復習」が作業(=実際に行うこと)ではなくて思考(=頭の中で考えること)であるということが納得できるようになれば、おそらく自分流の復習が身についたと思って差し支えないでしょう。そうなれば「学び」の意味も理解できるようになるでしょう。

要するに、学ぶということには自動的に復習が含まれているということでしょう。復習のない学びは、「学び」とは呼べません。せいぜい「勉強」どまり。したがって、「勉強やったの?」とか「宿題は終わったの?」という言葉かけは、枝葉の事を聞いているだけに過ぎません。やはりここは「今日の分の復習は終了しましたか?」と理性的に聞くのが一番(「~は終わったの?」あるいは「~はやったの?」は、どうしても感情が入りがちで、その分応えるほうも感情的になりやすいですね)。

すべての生徒に必ずその時がくるという確信があります。なぜなら、脳力の差ではないから。