復習って、ナンダ!?(その2)~何のために復習するのか~

「復習」について、もう少し掘り下げた話をしたいと思います。

<(その1)~復習のやり方~ のあらすじ>

生きるために直接関係のない情報は、脳のスミの部分に送られてしまい忘れてしまうが、「復習」をすると、脳はその情報を重要なものとしていつでも処理可能な場所に留めておく、という働き方をする。普段きちんとした「復習」の習慣がない場合は、試験前に無理な勉強をしても思ったほどの効果が現れないので、自分の能力を否定してゆくという危険性がある。

「復習」のやり方の第一歩は、その日の授業で過ごした空間と時間を頭の中によみがえらせる為に、その日の授業のノートを開くことから始まる。本来復習はその内容やタイミングを自分で決めて行うものだが、初めから全部自分で決めるというのは不可能に近い。かといって宿題だけをこなしていても自分自身に辿り着くことはできない。そこで30~60分のワクを用意して、その中で徐々に「復習」のやり方を磨いていき、一歩ずつ自分本来の姿に近づいていくための改良を続ける。

学ぶということのなかには復習というものが内包されている。そしてそれは脳力の差ではないのだから、すべての人間が必ず手に入れることが出来るものである。

そもそも「復習」とは、任意に(個人の裁量によって)行うものである、というのが私の基本的な考えです。しかしながら、それはあくまでも原則であって、特に学習塾を営む者にとって、『復習は本来自分でやるものなのだから何をやるかは自分で決めて、やるやらないも全て自分の責任だ』というのでは、塾のあり方を自ら否定していることになります。したがって私の方針は、今は充分にできていなくても、近い将来に自分だけの意志と能力で「復習」ができるようなる、ということです。自分自身の力で自分自身の本質に辿り着くことで、前に進む人になるというのがねらいです。

勉強に関する3つの事柄を書き並べて対象となるものを比べてみると、「復習」というものが自分自身の将来にとっていかに大切なものであるかがおわかりいただけると思います。

「授業」は然るべき場所で受けるべきもの⇒⇒⇒⇒【~するべき(当然)⇒環境次第】

「宿題」はやらなければならないもの⇒⇒⇒⇒【~ねばならない(義務)⇒相手次第】

「復習」は工夫してやってみるもの⇒⇒⇒【いろいろやってみる(創作)⇒自分次第】

「授業」と「宿題」は自分以外の事象によって規定されるものです。そこには《受け身》《依存》と言う意識が存在します。それに対して「復習」は自分自身で規定していくもの、決定権が自分自身にあるという意味で、《能動》《主体》《自立》と言う意識に繋がるものです。したがって学習面において「復習」というものを確立していくことは、そのまま《能動》《主体》《自立》という意識の成長に関与することになります。もちろんこれらの意識は、学習面からのみのアプローチで培われるものではなく、生活面や人間関係からも培われて行くものですが、どの面からアプローチするにせよすべてに共通して言えることは体験から会得するものであるということです。

すなわち”やってみなけりゃぁ始まらない”ということです。これが「復習」というものがその人間の将来に直結している所以です。

最後に「予習」の位置付けについて。「予習」は「復習」をするために存在しているものです。したがって「復習のない予習」はあり得ないということになります。「予習」だけでも事柄が身についた、という場合もありますが、それは「授業で復習をしていた」ということです。前号でお話いたしました「学校の休み時間や下校の途中歩きながら自分の脳の中(バーチャル)にその日のノートを広げてさっと済ませてしまう」という究極の復習、の更に先をいくやり方です。更にもっと究めれば、「予習と授業と復習」を一体化させることもできます。「あの人はあんなに遊んでいるのに・あんなに部活ばかりやっているのに・あんなにバイトばかりやっているのに、なんでこんなに成績がいいんだろう?いつ勉強しているんだろう?」という人に出会ったことはありませんか?そういう人は間違いなく、「予習と授業と復習」を一体化させることに成功した人です。そういう人を世間は「天才」と呼びます。「天才」とは、人には見えない形でする努力(見せない努力、ではない)をし続けられる才能、と言ってもいいでしょう。

「復習」は、子供にだけ必要なものではありません。生まれてから死ぬまですべての人間に必要なものだといってもいいでしょう。今日あった事をその日のうちに振り返っておくことが、明日以降の自分にどれだけのエネルギーを与えてくれるかはやった人にしかわかりません。そして「復習」をしている人の脳波が電磁波となって近くにいる人の脳波に影響を与えます。正に「蛙の子は蛙」「蛙の教え子は蛙」(イタタタタッ!身にみます)であると言ってもいいかもしれません。であるのならば、「復習する蛙の子は、復習する蛙」であるかもしれませんし、「怠惰たいだな蛙の子は、怠惰な蛙」と言えるかもしれません。

電磁波については最近かなり研究が進んでいますので、人の脳波が他人に影響を与えるということが科学的に証明される日もさほど遠いことではなさそうですが、証明されるまでもなく昔から我々は”類は友を呼ぶ”といって、はっきりと認識しているのです。