減量に臨んで(後日譚)
実は、68kgになった夏からおよそ10ヶ月後の翌年のゴールデンウィーク中に、72.5kgにまで戻ってしまっていました。俗に言う「リバウンド」というヤツです。その10ヶ月の間にいつの間にか元の食生活に戻って、スクワットもやったりやらなかったりという状態になってしまっていました。だから当然といえば当然の結果でした。
また75kgという数字が現実味を帯びてきました。うんざり、という感じです。数字に対する感情というよりも、同じ過ちを繰り返し続けている自分に対する嫌悪感といったほうが正確だったかもしれません。また減量に取り組めば、68kgまでは落とせるかもしれないけれど、ちょっと気を抜けばすぐに元に戻ってしまう。そう予想することもうんざりでした。
そこで、前回なぜ減量することにしたのかをもう一度考え直してみることにしました。確か、1年前の春は75kgに迫ろうかという状態に危機感を抱き、とりあえず「減量する」という目的で始めたのでした。そして、68kgにまでなったときに「減量する」という目的が達成できたと判断し終了しました。目的が「減量」だったので、体重が減ったことで満足してしまったのです。だから、なぜ減量するのか、ではなく、自分は今後どうなりたいのか、を考えてみることにしたのです。すると、思い当たることがありました。それは日頃からしばしば意識していることでした。“生涯現役”。そうだった!何で前回そのことを考えないで減量を始めてしまったのだろう?
きっと74.5kgという体重になって慌ててしまったんだろうと思います。そして少し取り組んだら結果が出始めたものだから、その表面上の変化に惑わされて真の目的のことを忘れたまま続けてしまっていたのです。だからもとの体重より10パーセント減った時点で満足してしまったのだと思います。ちょうど勉強を始めた生徒がテストを受けて偏差値がだんだんと上がっていくうちに点数を上げるために勉強を続けていくように。そして進学できたからそのことに満足して続けてきた勉強を止めてしまうように。
真の目的は、いつでもしっかりと見える形で掲かかげておかないと、見かけの目的にあっさりと置き換わってしまいます。そして見かけの目的が恰あたかも真の目的であったかのように錯覚してしまいます。そのくらい見かけの目的は私たちの行動に大きな影響力を持っています。だからこそ、真の目的をはっきりとさせておくことが重要なのだと思います。
さて、生涯現役が真の目的だったことを思い出した私は、減量という見かけ上の目的を捨てることにしました。しかし継続の原動力とするために記録はきちんとつけることにしました(ただし朝晩記録する必要性はもうないので、毎日朝だけ記録することにしました)。
生涯現役を続けるために大切なことは何か。それは当然のことながら、健康と体力です。病気にならないための健康と充分に動くことのできる体力。健康な内臓だけでは不十分だし、体力の出せる筋肉だけでも不十分で、その両方を充実させる必要があります。真の目的を明確にした上で、①就寝4時間前以降の飲食のカット ②脚力の鍛錬 ③記録をきちんとつける ④力まずにただ継続する の4項目を実施することにしました。
体重の変化については、10ヶ月前に一度体験していたせいか、68kg台になるまでに半年かかった1回目に比べて、今回は50日ほどで通過。もちろん前回とは違い、この段階でも満足することはなく、そのまま継続。
その後、初めて67kg台になったのはその年の9月。
66kg台は翌年の3月。
65kg台は5月。
64kg台は6月。
63kg台は10月。
62kg台は翌々年の10月。
61kg台は11月。
60kg台は3年後の7月。
59kg台は9月。
といった感じで推移して、それ以降は58~60kgの間を上がったり下がったりという状態が現在まで2年以上続いています。大雑把おおざっぱに言うと、5年かけて75kgだった体重が60kgになった、ということになりますが、私の中では減量(ダイエット)をしたという意識はないのです。自身の健康を磨き、体力をつけていったら、自然に体重が減っていた、という感じです。行きつけの整体院の先生が「リバウンドしないの?」と聞いてくるのですが、おそらくそれはないと思います。というのも、生涯現役が目的である以上、このトレーニングも生涯続けていくだろうから。終点が途上にない以上、満足して終了、とはならないでしょうし、だとすればリバウンドするはずもないからです。でも、体重の変化は数字として現れるので人に分かってもらいやすいのは事実ですし、「5年で15kg痩せました」なんていうと、大抵の人は目つきが変わります。そのくらい数字のマジックとは人を惹きつけるんですね。使い方を間違うととても怖いものです。
では本題。健康面と体力面。
健康面で一番顕著なのは呼吸です。深くゆっくりと呼吸できるようになったお蔭で、風邪をひきにくい、たとえひいても悪化しないし長引かない。喉のど風邪かぜをひいても咳せき込まない(咳を我慢できるので喉の状態を悪化させないで済む)。声を楽に出せる。深く眠れるので睡眠時間を短縮できる。だるくない。足が重くない。腰が痛くない。etc.そしてこれらのすべては、そうなってから気づいたものばかりです。昔はそうなる前の状態を当たり前だと思っていました(いつもそうなのだから当たり前ですが)。でも変わってみると、いかに今までが異常だったのかがよく分かります。1年に4~5回は風邪をひいていたし、睡眠は長く取らないと体が使い物にならなかったし、1日中足は重くだるかったし、10分以上立ち続けることもかなりの重荷でした。それらが今は全くないのです。1日にたったの5分だけ続けてきたトレーニングの強力なパワーを日々実感しています。また、2年位前からは減った体重に比例するように体の贅肉ぜいにくが取れて、30代で着るのを諦あきらめたTシャツや自分よりもずっと細かった父の形見のシャツなども普通に着られるようになりました。革靴も昔は27cmの5Eだったのですが、今は26cmの3Eがちょうどいい(足は痩やせたというよりむくみが取れたからだと思います)。なにより歩いたり立っていたりすることが苦にならない、というより、楽しい。正座しても足が痺しびれない。自分の体とは朝起きてから夜寝るまでの切っても切れないつき合いなので、殆ど感動の連続です。
そして体力面では、やはり足腰の粘りです。実は高校3年、18歳の冬の体育のサッカーでゴールキーパーをしていたときに、それまでの感覚で飛ぼうとしたのに倒れこんでしまったことがあり、その瞬間自分の中で体の機能が退化したことを実感したという記憶があり、それ以降、以前のような動き方をすることが一切できなくなってしまったのです。大学時代も体育会に所属していましたが、いくら練習しても高校3年以前の感覚を取り戻すことはできませんでした。ところがこの5年で身についた感覚は、まさにあの時以前のものだったのです。それを言葉にするならば「筋肉の粘り」ということになります。今は歩いていても立っていても、高校時代に失ってすっかり忘れてしまっていたあの感覚がいつもからだの中に存在しています。もちろん筋肉の“強さ”は若い時とは比べるまでもないのですが、筋肉の“粘り”に関しては小学生や中学生の頃の感覚に非常に近い。これはとてつもない自信を私に与えてくれます。1日たった5分のトレーニングをたった5年続けただけで、35年分遡れた訳ですから。私が続けているトレーニングは、今流行はやりの用語で表現するならば、「スロートレーニングでインナーマッスルを鍛える」ということになるようです。現在は上半身のインナーマッスルにも少しずつアクセスし始めているところです。
一般には、80歳位までは生きたい、できれば90歳まで、という感じでしょうか。とするならば、50代の半ばに差し掛かる私の年齢から計算すれば、残りの人生はあと30~35年というところでしょうか。けれど、上述したように現在の私の肉体的感覚は10代の半ばです。それを元にするならば残りの人生はあと70~75年となります。今の実年齢に70年を加えると120歳を軽く越えてしまいます。これはさすがに現実的な数字ではありません。
が、実はこれが私の最終目標です。生涯現役が真の目的だと書きましたが、それは最終目標から逆算した結果なのです。120歳まで生きるとしたら、最低でも100歳までは指導を続けるだろう。100歳まで仕事に携わることを世間一般には生涯現役と言うようだ。では、とりあえずは生涯現役を真の目的としよう。といった感じです。ヨボヨボの爺さんが指導します、と言っても誰も来てくれないだろうけれど、70歳そこそこにしか見えない100歳だったら、まあ来てくれる人はいるだろうかな、と。40代までに得た知恵を使って50代で現役を続けられたら、というイチロー選手の言葉と同じで、100歳までに得た知恵を使ってその後の現役を続ける。そのとき現役を続けていられるだけの体力を身につける必要がある。それが、私の場合今のところ1日5分のトレーニングです。
120歳が目標、と話してみたところで誰も真剣に取り合ってなどくれません。せいぜい苦笑混じりに「頑張ってね」と言ってくれるのがオチですから。もちろん、妻には伝えてありますし、先年亡くなった父にも生前宣言しました。また生徒たちはまだ人生の真の大変さを知る前なのでわりと本気で聞いてくれたりしますが、年齢が長けていけば信じてはくれなくなるでしょう。あー、そー言えば、塾長が昔変なこと言ってたなー、なんて感じでしょう。そもそもこのことは信じてもらいたいと言う話でもないので別にそれでもいっこうに差し支えないのです。単なる私の宣言です。日頃は自分の内側で考えていることです。けれど、今回思い切って文章化してみました。(満53歳[2014年7月]に記す)
